ベラミさんとの関係で一番大変なのが、認知の歪みから来る「極端に偏ったとらえ方」だ。
これが、一番身近な人を敵視させる原因なのかもしれない。
普段の僕側から見ている事実と、ベラミさん側から見えいる事実が、同じ事実なのに違った受取り方になっていて、それ自体はよくある事だけど、「極端に偏った受取り方」になるのが曲者。
例えば、「道を歩いている時に通りすがりの人が笑っていたとする。」
一方の捉え方では「何か幸せそうだな、楽しいことあったのかな」と思うのに対して、認知の歪みがあると「私、何であの人に笑われないといけないの?私何かした?何でみんな私の事をそんな風に見下すの!」と捉えてしまう。
もちろん、笑っている人の視線や笑い方などにもよって変わってくるんだろうけど、同じ「通りすがりの人が笑っていた」って事実に対して、こうも受け取り方が変わってくる。
これが普段の生活の中で、身近な人に向けられるのが非常につらいんだよね。
僕からの「ありがとう」は、ベラミさんには「そうやっていつもいい人ぶるところが嫌い」と受け取られ、僕からの「ベラミさん、いつも頑張ってるよね」は、「上から目線でものすごく腹が立つ。何様のつもり」だし、労いの言葉や行動も嫌がらせとして受け取る。ベラミさんからのラインにすぐに反応しなえれば「無視」、反応すれば「いつも自分を正当化するよね」と、何をどうやっても数十倍のネガティブ要素に膨らませて受け取る。これを、心理や脳の知識がない素人の人が受け取らなきゃいけないんだから、それはそれはつらいわけで。
でも、だからと言って、ベラミさんのせいだとも思ってないし、マジで心底憎むなんて事もない。
「まただよ」「いい加減にしてくれ」と思う事もしばしばあるけど、この生活を続けている中で、「外国人と話ししてるんだ」と思うようにした。文化が違えば捉え方も違う。日本では、そばやラーメンは酢する方が美味しそうに見えるけど、外国ではマナー違反的な。
事実そのものは、同じものを見ているけど、相手の気持ちまでは見えないようなそんなバグが発生しているんだろうなって思えば少しは楽。とは言え、ムカつく事も多々あるけど、今はムカつける自分を誇らしいとさえ思える。一時は、ムカつく事にさえ罪悪感を感じてたから。「ベラミさんは、自分の意志でそうなったんじゃない。苦しんでるからこその行動なんだから、ムカついちゃいけない」なんて自分を追い込んでしまっていた時期から比べると、人間らしく反応できていると思う。
いつか、「ありがとう」を「ありがとう」と、「いつも頑張ってるよね」を「そう言ってもらえて嬉しい」と受け取ってもらえる日が来るといいな。