一度フラッシュバックが出ると、数日間は症状が続くベラミさん。フラッシュバックが出たときは、僕とだけコミュニケーションをシャットダウンする。
それは、トラウマを抱えた人に多いらしく、一番近い存在にだけ感情をむき出しにしたり、激しく攻撃したりするのと同じで、過去の体験がフラッシュバックしている間は、シャットダウンする(私に反応しない)ことで自分を守っているんだとマチ先生が教えてくれた。
ただ、その間は子どもの迎えやご飯の献立など、普通の話さえもできなくなる。だけど、「なんであなたはこうしてくれないの」「私が悪いって言いたいんでしょ」と自分側が捉えた事実(歪んで捉えている事実)に対しては、激しく説明を求めたり、正解のないクイズのように、どんな返しをしても「なるほどね、そうだったんだ」などとはならず「じゃあ、あなたがこうすればよかったんじゃない」と激しく僕を責め立てる。
それなのに、子供たちや友人・お客さんなどには普通に話しをするのが、やっかいだ。やっかいというか、傷付く。目の前で子供と普通に話をしていても、いざ僕が話しかけると、スッと真顔になり反応しなくなる。まるでいじめを受けているような気分になる。
トラウマがそうさせてるのもわかってるし、本人でも制御できないくらい仕方ないのもわかってる。
ただ、その状態の時って、こっちはすごく孤独に感じるんだ。これまでのたくさんの楽しかった思い出も、全て忘れられてしまったような。同じ空間にいるのに、世界が違っているような、同じゲームをしているのにプラットフォームが違うからセーブデータを共有できないような。目の前のベラミさんは、ベラミさんだけど別人になってしまう。
そんな時、通りを歩いている普通の人や、車ですれ違う見知らぬ人まで、自分以外の人は全て幸せそうに見えて、自分が世界で一番不幸になったようにさえ感じる時がある。実際には、どんな人にもみんなそれぞれ悩みや苦労があって、ただそれを自分が知らないだけなのに。
ただ残念ながら、常にどんな状況でも全てを肯定的に捉える機能は僕には備わっていない。「みんな、いいな。どうしたらいいんや。」なんて思うことも多々ある。人にもそれぞれ悩みがあるなんて考えれる余裕すらないのだ。
それでも続く日々が薄めてくれる
ベラミさんとの通常運転、フラッシュバック期間を繰り返していくうちに、自分自身との向き合い方も少しずつ変わってきた気がする。
もちろん、激しく口論になる時やフラッシュバックとは言え、ベラミさんを思いやってあげる余裕がない時もある。「ああ、もう無理かも」と思うときだってある。だけど、そんな感情がずっと続くわけではないのも経験済みだ。
激辛なフラッシュバック期間を、程よい味付けの普通の日々が薄めて、「まだもう少し続けてみようかな」と思わせてくれる。彼女との未来を想像できないわけじゃない。だけど、時々支えきれない自分にすごく罪悪感を覚えてしまうんだ。
でも、それは仕方のないことだと受け入れる事にする。自分の器も無限ではないことを知っているから。