ベラミさんの治療が徐々に進むに連れて、ベラミさんは感情のコントロールが困難になってきました。
次第に僕は、衝突を避けるために相手を避けるようになりました。
その行動が、彼女の「見捨てられ不安」を更に刺激し、僕たちは連日衝突を繰り返す負のループに陥っていきます。
連日続く、出口のない意見の衝突は、深夜まで続き、ひどい時は明け方まで。
そんな時に僕は、ジョギングをはじめることにしました。
理由は簡単です。ストレスが溜まっていたから。ストレスには、軽い有酸素運動が最も効果的との事。
小さい頃からこの時まで、持久走や筋トレなど、身体を鍛える作業が大大大嫌いだった僕。
藁にも縋る思いでジョギングをはじめましたが、いきなりはじめたところで上手くいくはずもなく、
膝を故障し、治って走っては太ももを故障したりしました。
走ってる間は、走る事に集中してるので、それなりにストレスから解放されていましたが、
僕がジョギングに出かけようとすると、「話がある」と言って、僕を引き留めようとしたり、
「いつも自分勝手な奴」「そうやって自分のスケジュールだけで動こうとする」と罵声を浴びせられたり、
時には「こっちの苦しみを無視して自分の事を優先する最低な奴」と
被害者ポジションを振りかざされたりしました。
そんな言葉を背中越しに浴びせられながらジョギングに行くもんだから、はじめの頃は罪悪感でしかなかった。
「自分勝手なのか」「運動して自分だけストレスを解消するのはダメなのかな」とか。
走っては故障してを繰り返してしまうので、走り方も勉強しました。
最初は、1kmすら走れず、3kmの目標を半分以上歩いたり。
そこでまた、「1kmも走れないなんて」って落ち込んだり。とにかく心も体もしんどかった。
それでも腐らずに、地道にランニングを続けていくと、「時間はかかったけど、一度も歩かずに3km走りきれた」
「少しタイムが早くなった」「走った後も疲れなくなった」「距離がのびてきた」と、本当に少しずつ少しずつ
できるようになってきた。
それと同時に「今日は寒くて行きたくないなと思ってたけど、走るって決めてたから、自分との約束を守った」
「ベラミさんになんと言われようと、これは僕なりの整え方だ」とかメンタルも少しずつ鍛えられていった。
そして、少しずつ少しずつベラミさんとの間に心の境界線を引けるようになった。
正確には、「心の境界線を引く事に罪悪感を持つ必要はないんだ」と、自信を持てるようになった。
今、パートナーや家族の精神疾患や介護などで「支える側」として、
僕と同じように苦しんでる人もたくさんいると思う。
そんな人達の力に少しでもなれればと思って、この記事を書きました。
走れないなら無理せずに、外を歩くことから。
家の中じゃなく、外がおすすめです。
少しずつ体を前に進ませることは、心を前に進ませることにつながってる気がします。
